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お祖母ちゃん、ありがとうございました!

2016-05-03

先月26日、祖母が89年間の人生の幕を閉じました。

私が高校を卒業するまでの18年間と、美術館を開館してからの5年間余りを共に暮らした祖母。若くて綺麗なお祖母ちゃんだったので、祖母と一緒にいると何処でも、お母さん?と聞かれたことのある自慢の祖母でした。

私たち三姉妹が小さい頃、持病のあった弟が入退院を繰り返していたので母が不在の時が多く、そんな時はいつも祖母が母親の代わりに私たちの面倒を見てくれました。祖母に折り紙や紙箱の作り方を習ったりお勉強を見てもらったり、学校の送り迎えやお弁当作りなどもしてもらいました。

孫は6人いた祖母ですが、私は祖母に勧められて藤間流の日本舞踊のお稽古に通わせてもらい、祖母は私の毎回の発表会を楽しみにしてくれていました。

保育園を定年後は、叔母の残した2才10か月になる幼子の甥を高校を卒業するまでの間、母親代わりに育て上げ、その成長をとても楽しみに見守っていました。

その後、ここ愛野の地で私たちと共に暮らし、美術館のお手伝いや昼食を作ってくれ、美術館に来館される方々に「おばあちゃん~!」と声を掛けて頂けることをとても嬉しく思っていました。

油絵と編み物が趣味で、お習字の稽古に通ったり、地元の食の研究会に参加したりして余暇生活を送っていましたが、晩年は認知症と癌に侵されて最期の二か月は入院生活になりました。病院では頑張り屋さんだったとのことで、看護師さんたちからは「スーパーおばあちゃん」と呼ばれていたそうです。息を引き取り愛野に戻った祖母は、とても小さく細くなっていました。死化粧をしてあげていると、これまでのたくさんの感謝の気持ちが込み上げてきて、涙が止まりませんでした。

10人妹弟の長女だった祖母は、原爆で両親と7人の妹弟を亡くしております。自分は原爆当時、中国・上海に居て免れたと聞いています。祖母が34才の頃に祖父が亡くなりました。その時、父はまだ小学6年生、父の妹の二人の叔母たちは5才と4才で、祖父亡き後は子ども三人を女手一つで育てました。それから、私の弟が9才で、上の叔母が36才の若さで亡くなっています。両親と妹弟、伴侶や孫、そして自分の子どもの死と、早くに身内を多く亡くした経験を持つ祖母の人生は波乱万丈だったと思います。しかし、芯の強い慈しみ溢れる祖母でした。

今頃は黄泉の国で、会いたいと話していた両親や妹弟、叔母や私の弟たちと楽しく語り合っていることと思います。ゆっくり休んでください。お祖母ちゃん、本当にありがとうございました!(N)

 

祖母の葬儀に際し、美術館のお客様やたくさんの関係の方々にも参列していただき本当にありがとうございました。また、葬儀と初七日法要の間、美術館を休館していました。その間にご来館いただいた方も多くいらっしゃったようです。大変ご迷惑をお掛け致しました。