山本美術館 > ブログ > 剪定作業をしながら。

剪定作業をしながら。

2018-07-13

例年より早い梅雨明けが終わったと思ったら、うだるような猛暑日が続いています。

そんな中、今週は毎日庭木の剪定と芝生の刈り込み作業を続けていますが、もうバテバテの体力限界です。昨日と一昨日は午前中だけの作業で終わらせました。

先日の愛媛、高知、広島、岡山、岐阜など被害が甚大だった西日本豪雨で、被災者の方々が水がなく、病害虫の発生も懸念される劣悪な環境の下で、また、連日の炎天下のほこりが舞う中で復旧作業にあたっている姿をテレビで見ては、36年前(昭和57年)の長崎大水害を思いだし、また今、汗を流した後でも水やお湯、ガスなどふんだんに使えている我が身の幸せを少し申し訳なく感じています。

長崎大水害が発生した7月23日夜は、長崎市鍛冶屋町の割烹で職場の部署6人による歓送迎会を行っていました。8時過ぎくらいから急に雨足が強くなり、2階の部屋の窓からは叩きつける雨水が浸み込んでくるような状況となり、やがて停電。お店の1階にも雨水が流れ込んでくるようになり、掘り込んである生簀には水が入り、魚などが飛び上がっているとお店の人たちが騒いでいます。今、動いたら危険ということで、その晩は他のお客50名余りと一緒に大広間で明かしました。

翌日早朝、長崎旧市内に住む2人と別れ、網場町(職場)まで歩こうと4人で中島川沿い道路の泥水の中を進みますが、眼鏡橋などの石橋の崩壊をはじめ氾濫した川の被害は尋常ではなく、目にする全ての光景に驚きながら、辺り一面石ころや流木などが流れ出ていた国道の蛍茶屋から御洗水まで来ると、暗渠になっていた道路の部分が10m位に亘って陥没していました。既に、自衛隊が出動し、大型トラックには広い鉄板などを準備しています。陥没現場を見ると、端の方に露出した一本の細い水道管だけが残っており、その側に支柱とロープがかけてあり、水道管の下では濁流がゴォーゴォーと勢いよく音を立てて流れていて、足がすくみました。自衛隊の人から、「男の人はロープ伝いに水道管の上を渡れるかもしれませんが、女性はどうですかね」と言われて、先に進めません。結局、引き返して、その日は同行していた女性の実家(旧市内愛宕町)に4人泊めてもらいました。

その日の昼間は、(理事長の命を受けて)長崎市内のホテルのどこかに職場の緊急連絡先を設けるとして目ぼしいホテルに電話連絡を取りますが、ホテル自身がどこも被害にあっていて、市内には設置できませんでした。また、急遽、遺体安置所となった長崎市公会堂へ被災職員の確認に行ったり、更に翌日、徒歩で前日の陥没箇所の応急措置がとられた国道道路を通り、入り口付近には大小の石がゴロゴロ散らばり土砂で埋まっていた日見トンネルを抜けて芒塚・網場方面を見渡した時、辺りの山々が何ヵ所も豪雨で削られ山肌がむき出しとなり、その下の付近では土砂災害で多くの家が流されていたり、また国道のあちこちが何ヵ所も陥没しているのをみてびっくりし、自然災害の恐ろしさをまざまざと感じました。それでもその時既に、眼下の橘湾には、大きくて広い筏のような物の上に電気工事などの何台もの作業車を乗せて網場湾に向かって進んでくる引き船の軍団(?)を見て、大変心強く頼もしく思いました。

まだまだ続きがたくさん有り過ぎますので、ここで止めて、今回の西日本豪雨被災者や被災地の一日も早い復旧、復興を切に願っています。