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3月になって(その2)

2019-03-09

1982(昭和53)年学園祭の坂本龍一、諸井誠、西澤潤一博士の異色な顔ぶれのシンポジウムとコンサートに続き、翌年の1983年は堤清二、糸井重里、山口修の “現代の一流” を講師に招いて「いま、不思議な時代をどう生きるか」の公開シンポジウムが開催されました。

本学建築学科のK教授をコーディネーターに、糸井さんの司会で、大学OBや在学生の話をひき出していただき、堤さんと山口さんのコメントをいただく形で進められたシンポで、会場の三号館大講義室(収容定員500人)は商店主や会社経営者、それに子どもまで、学生含めて立ち見続出の超満員となり、参加者たちは約2時間、熱っぽい異様な時間と空間を共有したことなどが思い出されます。

糸井さんは沢田研二の「TOKIO」や矢野顕子の「春咲小紅」の作詞で知られ、当代随一の売れっ子コピーライター。山口さんは長崎市在住の国際的ギタリスト。堤さんは本学理事であり、詩人。この3人を一地方大学が一堂に揃えてシンポを開くこと自体、常識的には至難のイベントでした。

理事長からは、堤さんへはたいへんなスケジュールの中を無理に出席依頼したこと、糸井さんへは糸井さんが西武百貨店の広告の仕事をしていた関係で堤さんへ糸井さん紹介の仲介をお願いし交渉依頼したこと、そして山口さんは山口さんと交流があったK教授から出演依頼をして3人をお招きすることができたことなどを教えてもらいました。

前年の坂本龍一の時と同様、理事長の奥さんと空港の到着口の出口で、シンポジウムの電車の中吊り広告の裏に「糸井さん」と書いたものを掲げて待っていると、糸井さんは一人で「糸井ですが・・・」と言って出てきました。また、糸井さんには空港までお送りする車中で用意していた2冊の本にサインして頂き、今では私の宝物の一つとなっています。ちなみに、糸井さんが空港レストランで「昨年、長崎に来たときに食べた角煮が美味しかったので」と言いながら注文したのは角煮定食。よって、3人の夕食は角煮定食となりました。後からタイミングよく合流された堤さんは夕食を済まされていたので生ビールでした。余談ですが、堤さんの生ビールと、糸井さんの食後のたばこハイライトは、恐れ多くも(?) 私の奢りでした。へへへ・・・。

この1982年と83年の学園祭で催されたシンポジウムは、私の中では本当に大学らしい知的な誇らしいビックイベントで、これらに微力ながら関わりを持てたことは非常に感激で、今でも鮮やかに記憶に残っています。(終り)

 

   

 公開シンポジウムのポスター

(長崎総合科学大学五十年史より)

 シンポジウムの一コマ

(長崎総合科学大学五十年史より)