山本美術館 > ブログ > 磯田湖龍斎

磯田湖龍斎

2009-09-25

もう一人、春信風美人画を描いた絵師「磯田湖龍斎」をご紹介します。

磯田湖龍斎は、画業を始めた時は「春広」の雅号を用いて作品を制作しているので春信と近い関係にあったものと思われ、明和期から安永初期は春信に倣って美人画を描きました。

しかし、次第に春信スタイルから離れ、安永中期には女性に人気であった横に大きく張り出した髪形のたっぷりとした現実の女性を描くようになり、この髪形は湖龍斎型美人画の象徴ともなって自らの美人様式を確立しています。

湖龍斎を代表するシリーズものに「雛形若菜の初模様」があり、現在確認されるだけでも120枚を数えるヒット作です。また柱絵の分野で素晴らしい作品を残しており、極端に縦長の構図を巧みに用いた柱絵の総数は絵師の中でも随一の量を誇ります。

天明期になるとほとんど版を用いた作品の制作は行わず、肉筆画を多く描くようになります。現存するだけでも100点を越える肉筆画を描き、肉筆で一層冴えた繊細なタッチで格調高く、肉感的・現実的な美人をより生々しく表現しました。

脱春信を積極的に行った湖龍斎は、安永期を代表する美人画家となります。

1253845478_img091-1

磯田湖龍斎「雛形若菜の初模様 がくたはらや内 れん山」

ボストン美術館蔵

1253845478_img088-1

磯田湖龍斎「見立忠臣蔵 七段目」 東京国立博物館蔵

1253845478_img087

磯田湖龍斎「男女図」(肉筆画)MOA美術館蔵