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上方絵

2010-02-12

江戸を中心に発展した浮世絵に対して、京・大坂で制作された浮世絵を総称して「上方絵」と呼びます。

もともと絵画制作の中心地であった上方では、江戸に先行して17世紀前半から伝統を受け継ぐ形で当世風俗を描く絵画や絵入り版本の出版が盛んに行われていました。

元禄(1688~1704年)後期から活躍した「西川祐信」(1671-1750年)は、上方を代表する絵師として江戸でも評判が高く、優美で格調高い美人画には江戸の浮世絵師たちも憧れを抱いていました。祐信没後、江戸では祐信の絵本ブームが興り、石川豊信や鈴木春信など当時江戸で人気の絵師たちも祐信の絵本から図柄を借用して作品などを制作しています。

寛政期(1789~1801年)には上方役者絵の創始者と位置付けられている「流光斎如圭」(生没年不詳)が活躍しますが、役者を美化することは少なく東洲斎写楽の画風に通じるようなものがあり、流光斎の淡々とした画風や様式は上方に根付いていきます。上方役者絵が最盛期を迎えた19世紀になると摺りの技術が向上し、恰好よさを強調する江戸風の描写が表れて魅力的な変貌を遂げています。

上方絵は肉筆画、合羽摺りの作品が主体で、明和期(1764~1772年)に江戸の多色摺りの技法が上方にもたらされるようになっても版彩色と平行して合羽摺りが行われました。上方絵は画面構成、描写方法、彩色や配色などに特徴があり、江戸浮世絵との違いは一目瞭然です。

伝統を重んじる上方と新しい感覚を持つ江戸の浮世絵は、持ちつ持たれつしながら浮世絵の発展に繋がったと言われています。

1265949872_img222西川祐信「柱時計と美人」  東京国立博物館蔵

1265949872_img221流光斎如圭「四代目市川団蔵の小倉豊前」

早稲田大学演劇博物館蔵