平城京遷都1300年観光旅行(10)-1 興福寺
2010-05-22
3日日は興福寺から巡りました。
興福寺は、藤原鎌足が発願した釈迦三尊像と四天王像を安置する山階寺が起源とされ、平城遷都の710年に現在地に移されました。平城遷都とともに創建が始まり中金堂、北円堂、東金堂、五重塔、西金堂、講堂の順に大伽藍は形成されましたが、その後、天災や人災などの被害を受け、興福寺に天平期から残る仏像は、阿修羅をはじめとする八部衆・十大弟子像(国宝 734年)のうち14体のみです。中金堂の罹災は7回にも及んでいます。しかし、その都度復興を遂げ、1180年の平重衡(たいらのしげひら)の南都焼き討ち後の復興時には運慶を始めとする慶派仏師が活躍し、数多くの名作が作られました。北円堂の運慶の弥勒仏、南円堂の康慶作品、東金堂の定慶作品、それに金剛力士、天燈鬼・龍燈鬼像等々、興福寺が鎌倉彫刻の宝庫と言われる所以です。
中金堂の7回目の火災は1717年のことで、仮金堂は建てられたものの明治時代初めに起こった神仏分離令や廃仏毀釈運動が影響し、堂も仏像も復興されることはありませんでした。今回、創建1300年記念として中金堂復興を軸とする境内整備が始まっていて完成は2018年の予定だそうです。キャッチフレーズは「天平の文化空間の再構成」で、天平文化がもうすぐ蘇りを迎えます。
興福寺「南円堂」
猿沢池から見た興福寺「五重塔」