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梅園身代り天満宮

2010-11-30

長崎市のかつての花街・丸山や中の茶屋に隣接した場所にある「梅園身代り天満宮」。 今日の長崎新聞「石だたみ」に創建310年を記念して「天満宮」額面が設置された、との記事が掲載されていました。制作者は小﨑侃先生で、クスノキを使って力強く文字を彫られているとのことです。

ここは元禄6(1693)年、安田次右衛門が二重門(現丸山交番付近)で梅野五郎左衛門に襲われ自邸に担ぎ込まれたが不思議なことにどこにも傷が無く、身代りに庭の天神様が血を流して倒れていたそうです。その後、この天神様を身代り天神様と呼ぶようになり、元禄13(1700)年に安田次右衛門によって創建され、以降丸山町の氏神様として親しまれています。 また、花街に接していることから遊女や芸妓さんが多く参拝したそうです。吉永小百合さんが演じた丸山の名芸妓・愛八が長崎学の祖と言われる古賀十二郎とともに長崎に眠る民謡を探す旅に出かける様子を撮った映画「長崎ぶらぶら節」でも度々登場して有名になりました。心や身体の悩みまで身代わりになってくれるということで愛八さんもよく参拝していたそうです。

私は先月、「中の茶屋 清水崑展示館」へ出かけた際に参拝しましたが、毎年2月頃には境内の梅が咲き誇り美しさもまた格別だと言います。皆様もお出かけになりませんか。

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