長崎市内の「出島」へ
2011-06-02
現在、長崎市内では「ながさき紫陽花まつり」(~12日まで)が開催されていますが、先日、まつりの一会場になっている「出島」を覘いてみました。
鎖国時代、西洋に開かれた唯一の窓口で日本の近代化に大きな役割を果たした出島は、明治時代になると周辺の埋め立てが進み、明治37年にはその姿を消してしまいました。しかし、平成8年から歴史的価値を未来へ残すためにと市の出島復元整備事業が始まり、19世紀初頭の建造物や石垣などの復元工事が進み、現世に出島の姿が蘇ったのです。
復元されたカピタン(オランダ商館長)部屋や乙名部屋、蔵や石造倉庫からは、当時、出島に住んだ人々の暮らしぶりや役割などの様子を知ることができます。また、出島のオランダ商館医であったシーボルトが紫陽花の花をお気に入りだったことは有名ですが、会場内のプランターには色とりどりの紫陽花が植えられ並べてあり、訪問者を和ませ、長崎市のイベント「さるくコース」の参加者や他県からの修学旅行生などで賑わっていました。
復元された出島の様子
同じ
カピタン部屋の大広間