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橘湾の連合艦隊

2011-12-13

昼休み、図書館で何気なく手に取った本のページをめくっていたら、「橘湾の連合艦隊」という文字が飛び込んできて、どんなことかと目を通しました。

昭和16年11月5日の欄そこには、「1941(昭和16)年11月5日頃、突然、橘湾を連合艦隊の主力がびっしりと埋めて集結し、小浜町民を驚かせた。・・・(中略)・・・真珠湾奇襲攻撃の企図を秘匿するための、敵を欺く陽動作戦として西の果ての橘湾を埋めたこの連合艦隊の作戦は正史には記録されていない。26日、機動部隊は単冠(ヒトカップ)湾を出港し、無線封鎖を行って、米軍に気づかれることなくハワイへ向かった。」と記されていました。

本のタイトルは、「ナガサキ風説書 長崎・日本の足跡365日」(入江勇著、芸立出版 2004年発行)。

折しも、太平洋戦争の始まった8日を前に、本県出身の役所広司を始めとしたそうそうたるキャストによる映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六‐太平洋戦争70年目の真実‐」の完成披露試写が行われ、今月23日から全国で一般公開されるとの芸能ニュースがありました。

この連合艦隊橘湾集結のニュースソースは、長崎総合科学大学附属高校元校長の永野文雄先生の証言によるとの出典紹介です。永野元校長は、1915年生まれの南島原市(旧南高来郡)口之津町のご出身で、世界史が専門です。

元校長の永野先生、著者の入江先生お二人とも既に亡くなられていますが、私は二人が校長、教頭のコンビで高校に在任されていたときお世話になった縁があります。戦後生まれの団塊世代の私は、今までに千々石町出身で自身も満州に出兵した経歴を持つ生前の父や、地元に住んでいる長老の方々からそういう話は聞いたことはありませんでした。70年前の今の時期、橘湾沿岸に住んで居られた人たちでまだ生存されている方も多いと思います。私たちはもっと歴史に向き合い、興味を持っていろいろなことを知らなければならないと考えた昼休みでした。

1323727451_img619入江勇著「ナガサキ風説書 長崎・日本の足跡365日」(芸立出版)