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悲しいお別れ

2013-10-18

最近、可愛がっていただいていた先生方が立て続けに亡くなられました。

9月の初め、有明町在住の元高校体育教諭で、退職後は書道の先生をされ毎日展大賞を受賞するなどの活躍をされていた95歳の宮崎翠雲先生が、交通事故で亡くなりました。当美術館まで片道40分の道程を自分で運転してたびたび遊びに来て下さっては、「なおちゃん、なおちゃん」と可愛がっていただきました。また、大正7年7月7日生まれとラッキー数字をお持ちの先生は、7月8日生まれの私とは誕生日が1日違いなので、毎年、合同誕生パーティーを当館の喫茶ルームで行っていました。

先生は、僕が現役で一番年長の書道家になるのだと毎朝机に向かい般若心経の写経で手を慣らした後、墨絵を取り入れた作品なども書いていたそうです。そして、自宅にじっとしているとじいさんになるからと、近所の一歳下の94歳になる友人と温泉に行ったり美味しいものを食べに出かけたりして、そこで出合う若い人たちと話すことが元気の秘訣だと言われていました。食事はもちろん日頃から健康には人一倍気を遣われていたのに、事故で亡くなられるとは本当に残念です。しかし、生涯趣味を持ち続け、良い友人をたくさん持っていた先生は95年間の人生を全うされたのではないかと思います。

10月の初めに、新聞のお悔み欄を見た父の連絡で知った私の高校時代の恩師・吉田和則先生の死。国立大学医学部出身の先生は高校の数学教諭としてお勤めになり、昨年、定年退職したばかりの62歳でした。私は高校の入学式で、身長が高くて目の大きな先生からいきなり、「君は身長が高いからテニス部に入部しなさい」と声を掛けられたことが強く印象に残り、その先生が一年生時の担任の吉田先生でした。数学では3年間ずいぶん鍛えられてよく励まし可愛がっていただきましたが、私の数学の成績はいまいちで先生には申し訳ない気持ちでした。先生はテニス部の顧問でもありましたが、10年ほど前に体調を崩してからは専ら折り紙作品制作に没頭していたとのことです。

それから、当美術館の開館を知った先生は、プロ級の腕前で折ったたくさんの作品を持ってたびたび遊びにお見えになりました。当館でも折り紙教室を開催していただいたことがあります。折り紙材料の和紙や飾り方にも独特の感性をお持ちの先生はいつもお洒落な格好で、シャツやネクタイは自分の好きな生地を探してオーダーするのだと教えてくれました。また、ある時はコレクションの陶器や動植物の形の宝石を散りばめたブローチ類を持参されて、先生と一緒に座り込んでそれらを見ながらあれこれお話ししたものです。定年後は、車が無いからしばらく美術館に行けないからねと連絡がありしばらくお会いしていませんでしたが、恩師の中でも一番深く交流していた先生だったので、突然の訃報に本当に驚きました。あまりに早いお別れとなり、涙が溢れて止まりませんでした。

お世話になった両先生に深く感謝しております。本当にありがとうございました。両先生のご冥福をお祈りいたします。(N)

1382061866_CIMG5023宮崎翠雲先生作「直希」(喫茶ルームに展示)

1382061866_CIMG5033吉田和則先生作「折り紙作品」(同じく喫茶ルームに展示)