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堤清二さんの訃報

2013-11-30

堤清二さんの訃報に接してたいへん驚いています。

元セゾングループ代表の堤さんには、前職場の大学で何度かお目にかかり、詩人としてのペンネーム「辻井喬」著の詩集にサインをいただいたことがあり、以来、それは私の宝物の一つになっています。

堤さんの「西友」が本県諫早市に出店する際、当時、大学の理事長であったH先生が東大時代の学友であった堤さんにかなりご無理に大学理事への就任を依頼され、堤さんも“Hさんのお願いじゃ仕方がないな”とこれに応えて理事を引き受けてくださったご縁がありました。

その堤さんが大学の理事会に出席のため初めて来学された折、理事会閉会後の会議室へ、約2月前に長崎市内の書店で求めていた本3冊を持ってサインをお願いしに行きました。堤さんは「私は字が下手でね・・・」と言いながら、快く2冊の本に書いてくださいました。そして今思えば大変失礼なことをしたなと思うのですが、残りの一冊は違う著者の堤家西武全体に関わる内容の本でした。堤さんはそれを見ながら苦笑いをして、その後少し遠慮がちに「これにはちょっと」と断られ、続けて「代わりに、新刊が出ているので、その本を(東京に)帰ったら贈ってあげましょう。」と言われて、私の名刺を受け取りになりました。恐れ多くも、これが理事長H先生を介して私が初めて堤さんにお会いでき、親しみ、興味を持った始まりでした。

それから幾日か過ぎたある日、大学の私宛てに「謹呈 著者」の付箋がはさみこまれた一冊の詩集「沈める城」が届きました。本を目にした瞬間、喜びと感激で胸がいっぱいになりました。1982年11月の秋の日のことです。この本も私の大事な宝物となっています。

続いて、翌年に行われた大学の学園祭史に残る画期的なイベントに、堤さんと当時超売れっ子だったコピーライターの糸井重里さんが参加されましたが、そのお話はまた何時か記したいと思います。

堤清二、かつ辻井喬先生のご冥福をお祈りいたします。

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