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美人画について~(3)~

2008-09-07

(3)浮世絵美人画の時代的推移と特徴

浮世絵美人画の描き方には時代や絵師によって独特の傾向があります。描かれる対象は、人気のある遊女や花魁、評判の高い町娘などで、時代の好みを反映した美人画を生み出しました。浮世絵初期は、特定の人物に限定せずただ遊女の理想像を描くことが多く、菱川師宣の有名な肉筆美人画『見返り美人図』に代表されるように、細面や下膨れした顔に切れ長の細い目、ふっくらとした体形といった様式化された女性像が特色です。この頃の浮世絵版画は、墨一色の墨摺絵もしくは黒版に筆で彩色した丹絵や紅絵で、むしろ肉質画が主流でした。懐月堂安度を筆頭とする懐月堂派は版画制作のかたわら粗野で威勢のよい豪快な肉質画を大量生産しています。

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菱川師宣 『見返り美人図』 東京国立博物館蔵

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懐月堂安度 『黒地色紙散らし衣裳の遊女』 神奈川県立歴史博物館蔵

 

浮世絵中葉期には、実在の遊女を想定してその名前を入れて描くことが普通になり、対象は遊里の女性だけでなく、市井の評判娘を題材とした美人画が描かれるようになりました。錦絵の創始者・鈴木春信の繊細で優美な少女のようなあどけなさを持つ美人画は、まるで錦のように美しい画面で江戸の人々を驚かせました。その肉感・現実感を排した美人様式は大流行し、江戸の浮世絵界は“春信風”一色に染まっていき、多くの私淑者を輩出し、磯田湖龍斎などの絵師も挙げて春信風美人画を描きました。

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鈴木春信 『夜の梅』 メトロポリタン美術館蔵

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磯田湖龍斎 『風流十二季花 長月』 ボストン美術館蔵

 

浮世絵全盛期(18世紀後半頃)になると、春信の影響から脱した絵師たちが個性的な画風を展開しはじめます。美人画は大型化し、色彩・構図ともに斬新な作品が生まれ庶民の人気もさらに高まります。また、版元にも蔦屋重三郎といった傑物が活躍し、新たな絵師の発掘を行うなど一層の活況を呈してきます。鳥居清長のすらりとした八頭身で手足を長く描いた美人が好評を博し、大判三枚続きのワイド画面に伸びやかな美人群像が描かれました。開放感ある屋外という設定で江戸を理想郷のように美しく表現しますが、これは続絵流行の本格的なきっかけとなりました。寛政年間になると、女性の上半身だけを描く美人大首絵で一時代を築いた喜多川歌麿が大活躍します。微妙に表情のある目元・口元、髪の生え際の美しさや手つきなど、女性の魅力を細部に求めて繊細に表現しました。また、この頃幕府は風紀の乱れなどを恐れ絵の中に女性の名前を記すことを禁止しますが、判じ絵などで名前を示して抵抗しました。

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鳥居清長 『当世遊里美人合 紅葉見』 シカゴ美術館蔵

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喜多川歌麿 『扇屋内 花扇』 メトロポリタン美術館

 

江戸末期になると、人間の持つ感情を色濃く表現し、ふんだんに色彩を用いた華美な印象の強い美人画が目立つようになります。退廃的で享楽的な世の好みをいち早くくみ取り、歌川国貞や渓斎英泉などの人気絵師は、それまでの優雅で可憐な清純派美人とは対照的に、女性の濃艶さや退廃的な凄みのある美人画を描きます。睫毛が細かく描き入れられた釣り上がった目や紅の色が妖しく光る半開きの口元には、濃厚な色気や魅力が漂っています。しかし一方では、庶民感覚に溢れた親しみの持てる表情やポーズをした美人画なども制作しています。 また化粧品や名産物などの販売促進のため、最先端の美意識を讃える美人をイメージキャラクターとした広告錦絵などもたくさん創られました。

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歌川国貞 『北国五色墨』 静嘉堂文庫蔵

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渓斎英泉 『美艶仙香 朝霞』 山口県立萩美術館・浦上記念館蔵

 

美人画を時代に沿って見てきましたが、衣装や髪型の風俗的な変遷はもちろん、顔や体形、表情も随分変化していることに気づきます。その時代を反映した流行の美人スタイルを表すのですから、時代の好みを敏感に捉えながら新しいスタイルを創り出し、ひいては流行を引っ張るような才能ある絵師たちこそ、その時代の第一人者ということができます。美人画は江戸文化の最先端を闊歩し、浮世絵を絵画芸術の高い水準へと押し上げる要素にもなりました。