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美人画について~(4)-1~

2008-09-09

1、浮世絵に見る遊女たち 高位遊女編

その昔、「あそぶ」とは本来神のために歌い踊ることで、「遊」の字が当てられた遊女たちはそれに相応しい技芸と伝統の持ち主でした。遊女の歴史は古く『万葉集』に既に遊行女婦(うかれめ)の語で表れています。近世初頭、公権力によって遊女屋を一ヶ所に囲い込んだ場所を遊廓といい、「廓」は堀や塀で外界と遮断された空間のことで、公けの遊廓として京都の島原、江戸の吉原、大坂の新町、長崎の丸山が続いて開かれました。

江戸庶民の中で発展した浮世絵では、吉原を取材した作品がたくさん残されていますが、吉原は単なる色里ではなく歌舞伎と並ぶ文化の中心で、多くの文化人の集まる文化の発信地、また最先端ファッションの発信地と呼べる場所でした。吉原の高位の遊女は「太夫」や「花魁」と呼ばれ、美貌だけでなく女性としての最高の教養を身に付けていました。当時の知識人や、作法や遊び方を身につけた通人を相手にする吉原の花魁は、理想の美人としてスター視され、閉ざされた廓の世界の華として見事に咲き誇っていました。吉原の有名な遊廓には、三浦屋の高尾をはじめ、扇屋の花扇や滝川、松葉屋の瀬川など代々名を襲名していく人気の高い花魁がいて浮世絵師も競ってこれらを描いています。

花魁たちは10数本ものかんざしを付け、大胆な内掛けや帯、黒塗りの高下駄などの超豪華・花魁ファッションに身を包んでいました。新造や禿(かむろ)など大勢のお供を従えて八文字と呼ばれる独特の歩き方をする花魁道中は、花魁自身の威勢や美しさを示す重要なデモストレーションでした。

喜多川歌麿は、『青楼十二時続』という揃物で、一日を十二支で割った時間ごとに遊女たちの暮らしぶりを描いています。青楼とは吉原遊廓のことですが、遊女の生活が垣間見られるシリーズ作品は、江戸庶民の高嶺の花だった吉原遊女の一日が時系列に描かれていて、現代の私達にも当時の遊女の暮らしを分かりやすく図解した優れた作品です。

花魁は当時のトップスター的存在で、江戸人の美意識をくすぐる当世ファッション事情を伝えています。斬新できらびやかな遊女の姿は、理想化された美の世界へとタイムスリップさせてくれるようです。

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北尾政演『吉原傾城 新美人合自筆鏡(松葉屋 瀬川・松人)』 ボストン美術館蔵

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磯田湖龍斎『雛形若菜の初模様 四つ目屋内 かほる 梅の しげの』 ボストン美術館蔵

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歌川豊春『桜下の花魁道中』 太田記念美術館蔵

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葛飾北斎『年始まわりの遊女図』

ワシントン・フーリア美術館

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喜多川歌麿『青楼十二時続 酉の刻』

ブリュッセル王立美術歴史博物館蔵

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喜多川歌麿『青楼十二時続 卯の刻』 慶応義塾蔵