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橋口五葉について~(1)~

2008-10-03

浮世絵美人画を江戸から大正に時代を移して、大正期の新版画家の中で“大正の歌麿”と称されるほどの美人画を制作した「橋口五葉」について、出版文献などを参考に見ていきたいと思います。

版画家、装丁家、浮世絵研究家として活躍した五葉は、生涯で13点の大判版画を完成させただけで41年の短い生涯を閉じましたが、「版画という技法を用いて一枚絵のつもりで制作した」という自身の言葉通り、ハイクオリティな版画作品を残しました。

五葉は、明治14年に鹿児島の島津藩医の家系に生まれ、趣味人であった父や、外交官で夏目漱石と水彩画絵葉書の交換をするほどの仲であった長兄、日本郵船の技師で文人画風の絵を得意とした次兄の影響を受け、素質と境遇から分かるように芸術的気質に溢れた人物でした。

幼少の頃、狩野派の絵師・内山一観に日本画の手ほどきを受け、中学を卒業後上京して橋本雅邦に師事、更に同郷の黒田清輝のすすめで洋画を学び、東京美術学校西洋画科本科へ入学します。ここでは郷里の先輩にあたる藤島武二や、学友では青木繁、熊谷守一、和田三造などと親交を持つことができ、当時の美術に強く影響していたラファエル前派の浪漫主義的傾向の強い画風に接しています。

在学中、長兄の縁で夏目漱石と出会い、雑誌の挿絵や単行本の装丁の制作活動を始め、五葉が本来持っていた装飾性を好む芸術性が装丁図案、挿絵といった美術の世界で開花していきます。

中でも、漱石の『我輩ハ猫デアル』の装丁や挿絵は評判となり、漱石以外でも森鴎外、泉鏡花、永井荷風、鈴木三重吉、与謝野晶子や二葉亭四迷など近代文学の主要な作品の装丁を手がけ、その数は百十数点にも及びました。

五葉の装丁・挿絵には、ラファエル前派やアーツ・アンド・クラフトの影響が強く現れています。挿絵においては毛筆を用いた線描画で季節感を盛り込んだ風景や人物を描き、装丁図案ではアール・ヌーボー風の対称形図案、繰り返し模様、浮世絵風のものがあります。その中でも、木版を使ったものに優れたものが多く、この頃から、後の木版画制作の基となる木版文化の中に自然と身を置いていたことになります。

夏目漱石に、「僕の文もうまいが橋口君の絵の方がうまい様だ」と言わしめたほどの五葉の装丁は、装飾的なデザインと鮮やかな色彩で見る人に新鮮な印象を与えました。

*橋口五葉 装丁本

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「吾輩ハ猫デアル・上編」(夏目漱石著) 弥生美術館蔵

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「国貞画く」(泉鏡花著)の表紙刷見本

鹿児島県歴史資料センター黎明館

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「十人十話」(森鴎外著) 個人蔵

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「或る脚本家」(武者小路実篤著) 個人蔵