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平塚運一と長崎について

2014-07-12

開催中の「平塚・田川・奥山木版画展」では、創作版画家の平塚運一、田川憲、奥山儀八郎の三人にスポットを当て、主に長崎に因んだ作品13点を展示しています。

なかでも平塚運一は、「自画、自刻、自摺」という日本創作版画の先駆者で、102歳で亡くなるまで精力的に版画活動を続け、版画教育普及活動にも大きく貢献し、田川憲や棟方志功など多くの後進を育てました。

平塚にとって長崎古版画という長崎独特の版画を生み出した長崎は夢の町で、少年時代からの憧れの町だったといいます。そんな長崎に平塚は4度訪れていますが、昭和6年の夏、大分、熊本と回り、天草から口之津へ渡って、その後長崎市内へ向っています。

昭和9年、長崎では田川憲を中心とした「版画長崎の会」が発足し、版画熱が高まっていたその年の夏、版画長崎の会主催の版画講習会の講師として来崎しました。昭和10年の夏には磨屋小学校で創作版画、木口版画の講習会を開き、田川憲は受講生として木口版画の制作方法などを習ったといいます。昭和28年の1月には鹿児島から長崎へ。田川憲の案内で原爆のつめ跡などを見て回り、雲仙へと足を延ばしたそうです。そして昭和43年夏、田川憲の亡くなった次の年に発行された「田川憲遺作版画集」には序文を書き、田川の功績を称えています。

平塚運一の影響を深く受け、長崎の版画界をリードした田川憲。師弟関係に当たる二人の描いた長崎の原風景を観ることが出来る今回の企画展を、多くの皆様にご鑑賞いただきたいと思います。(N)

img048-1「長崎を描いた画家たち」(上)より