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母、おふくろ。

2014-10-02

先週末は27歳になる甥の結婚式出席のため、美術館駐車場入り口にあるキンモクセイの花の微かな甘い香りを車内に感じつつ、福岡市内の宿泊ホテルへ向かいました。

途中、諫早市内で三女家族と合流。三女たちのワゴンタイプの車に便乗し、その連れ合いの運転で出発して次女が手配していた福岡市天神にあるホテルは開館25周年記念特別価格提供で、大人5人と子ども2人の計7人にはちょうど良い広さの快適な部屋でした。

翌日の結婚式当日、1年4ケ月ぶりに会った別居中の今年87歳になる私の母親は思ったより元気で安心しました。が、面倒を看ている妹から聞いていたように認知症が進んでいて、式後の帰りまで私や家内や孫たちの名前、曾孫のことを思い出してくれることはありませんでした。

遠賀郡に住む妹家族に入居している老人施設から連れられ、会場の新郎側控室に私たちより一足早く着き椅子に座っていた母は前回会った時より穏やかな顔つきをしていました。私たちの姿を見るとそれぞれをじーっと見つめ、しきりに何かを思い出そうとしています。私と目が合うと、何か口をもごもごさせますが言葉が出ません。その姿に接し、私も何も言えなくなり目に涙を浮かべ、唯々母の顔を見返すだけでした。

新婦側との親戚紹介の後、結婚式場のチャペルや披露宴会場への移動中、おふくろの手を取って、おふくろの歩調に合わせて一緒に歩きながら、「あなたの長男よ。母ちゃんの長男のバカ息子たい。一三よ。」「おばあちゃんは今年87歳。僕は67歳になるとよ。」「千々石の墓はきちんと守っているから安心して。愛野に帰って来んばよ。」等と耳元で話すと、時々歩みを止めては背中が曲がり小さくなった身体で私を見上げながら、「・・・バカ息子ではないけど。」「87ね。思い出せなくてごめんなさいね。」「千々石、愛野 ? ・・・。」「ありがとうございます。道で出会っても誰か分かりませんね。」などと答えます。

また、披露宴の中で、祖母にあたる私の母によって育てられてきた新郎から感謝の気持ちを述べられた際、司会者から「おばあちゃん、今のお気持ちは?」と問われ、しばらく間があり、「何と言いましょうか、(胸がいっぱいで)・・・」と返答した時は、母が突拍子もないことを言わないかと心配し見守っていた私を始め身内の者たちは一様に安心感と満足感にあふれ、お互いに顔を見合わせ涙を流しました。

千々石、愛野町で一緒に生活していた頃は口喧嘩ばかりしていましたが、今日の母は先日のブログの「怒らないで あなたも来た道 いつかは行く道」と愛おしい思いで胸いっぱいになり、何度もなんども涙があふれてきて、身体が震えそうになりました。 式後の別れ際に、おふくろの両手や顔や肩を抱き寄せて涙声を振り絞り、「いつまでも元気でいて、長生きしてよ。」と言うと、おふくろも過去のことを思い出せないもどかしさからか、両目にいっぱい浮かべた涙を両手でしきりに拭いながら、私や家内たちを見つめていました。

今日の結婚式は、私にとってはおふくろにこれまでの感謝と、ある面の親不孝を侘びた一日となりました。

 

お袋と手をつないで。

おふくろと手をつないで。