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橋口五葉について~(2)~

2008-10-05

グラフィック・アートが日本で本格的に展開を始めたのは明治から大正にかけてのことで、これは各企業が大衆広告の重要性を認識したことと、西洋木口木版・石版・写真平版などの印刷技術の発展という背景がありました。

明治44年、三越呉服店が1500円の賞金総額を懸けて募集したポスターに応募があった301点の作品の中から、元禄文様・アールヌーボーの時代の流行を反映した五葉の『此美人』が選ばれ、その名は世に響き渡りました。女性が広げた雑誌には春信風の浮世絵が描かれていて、伝統的な文化を感じながら新たな装飾美を生み出しています。

五葉は、他にも日本郵船株式会社のポスターや乗船名簿の表紙、雑誌の表紙や口絵などを数多く手掛けており、また描写力や美的センス、そして時代の流行を読む力も備わっていた五葉は日本のグラフィック・デザイナーの先駆者とも呼ぶことができると言われています。

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三越呉服店ポスター『此美人』 平木浮世絵美術館蔵

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日本郵船会社ポスター『1914年カレンダーを手にする女』

横浜マリタイムミュージアム蔵

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雑誌「ホトトギス」第13巻第11号表紙 個人蔵

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雑誌「斯民」第11編第5号表紙

鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵