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千々石ミゲル墓所

2017-03-11

先日は、この度の古希記念同窓会の翌日に長崎市内観光で利用する宿泊先ホテルとの打ち合わせを終えた帰途、一緒に行った友人(仲間)の誘いで初めて諫早市多良見町に在る「千々石ミゲル墓所(推定)」を訪れました。友人は、この墓所の発掘調査実行委員会の中心メンバーの一人です。

千々石ミゲルは1569年頃、私たちの古里・雲仙市千々石町に生まれ、12~13歳だった戦国時代の1582(天正10)年にキリシタン大名の名代として長崎からヨーロッパ(ローマ)に派遣された天正遣欧少年使節(4人)の一人です。8年半に及ぶ苦節の長旅後に帰国しますが、江戸幕府の確立に伴いミゲルたちを取り巻く環境が厳しくなって棄教し、名を千々石清左衛門と改め妻を娶り、やがて大村藩の家臣となりましたが晩年は不遇の時を過ごしたと伝えられています。

ミカン畑の一角にある自然石の墓は、高さ約1.8m、幅約1.2mで、正面に二人の戒名が刻まれてあり、裏面には千々石玄蕃(ミゲルの四男)という名前が彫ってあるのを目にして、暫し古里の偉人に思いを馳せました。

今日は、あの未曽有の東日本大震災発生から丸6年となりました。