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一冊のプロレス本

2020-06-07

私がこれまでに一番プロレスのテレビ放映を観ていた頃にデビューした「ジャンボ鶴田」について書かれた本を、ネットで見つけました。

当時、テレビでは全日本プロレス、新日本プロレス、国際プロレスの三団体の試合が毎週放映されていて、時間があればよく観ていました。私はどちらかというとジャイアント馬場が旗揚げした全日本プロレスのファンでしたが、プロレスの試合を初めて生で観たのは、アントニオ猪木率いる新日本プロレスでした。

レスリングのミュンヘン五輪代表だったジャンボ鶴田が、「プロレスは僕に最も適した就職だと思い、監督と相談の上、尊敬する馬場さんの会社を選びました」と全日本プロレス入門記者会見で述べたことをスポーツ新聞で目にして、異色の選手が出てきたなという印象を持ちました。

そして、馬場の秘蔵っ子としてアメリカのドリー・ファンク・シニア一家の許へ預けられ海外修行を積み、73年秋の「全日本創立一周年記念ジャイアント・シリーズ」に凱旋帰国参戦し、日本デビューを果たしました。このシリーズで新人ながら馬場のタッグパートナーに抜擢され、ザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクの兄弟)の持つインターナショナル・タッグ王座へ挑戦した試合で初めて鶴田を、私同様にプロレスファンだった叔父と一緒に叔父宅の大型テレビで、期待して観ました。

新人ながら4種類のスープレックスを操ると言われた鶴田(試合ではまだ本名の鶴田友美)が、61分3本勝負の一本目に、テリー・ファンクに華麗なジャーマン・スープレックス・ホールドを決めてフォール勝ちした瞬間、叔父と大拍手し合って興奮しました。また馬場に肩を抱かれて男泣きする鶴田の初々しい姿が強烈に脳裏に焼き付いています。その後、鶴田は全日本のエースに成長し国内外の一流選手と数々の名勝負を展開して私たちを楽しませてくれましたが、やがて病魔(肝炎)に襲われて2000年、49歳の若さで亡くなりました。

本の帯に曰く、
『「普通の人でいたかった怪物」
今でも根強い〝日本人レスラー最強説〟と
権力に背を向けたその人間像に初めて迫る!
没後20年-今こそジャンボ鶴田を解き明かそう! 』

ジャンボ鶴田の実像に迫った600ページ近くの一冊、読み甲斐がありそうです。

 

「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」(小佐野景浩著 ワニブックス刊)