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空中転回(前方宙返り)の思い出

2021-08-27

先日のブログで書いた「アラーの使者ごっこ」遊びの空中転回(前方宙返り)の話ですが、私たちの小中学生時代は現在ではとても考えられないようなずいぶん危険で無茶なことをしていたものです。

空中転回は、小学6年生の時か跳び箱やマットを使った体育の授業で習ったのですが、この技は難しくて、私を含めてほとんどの者が出来ませんでした。先生がマットの側に立ちながら、私たちが助走して踏切台を力強く踏切って上へ高くジャンプし、そして素早く一回転して両足で立つという動きを、頭から落ちないように補助してくれるのですが、私たちのジャンプが弱かったり回転が遅かったりして、なかなかうまく足から着地することが出来ませんでした。また、先生からは自分たちだけでは危ないから行わないようにと注意もあっていました。

しかし、私たちは昼休みや放課後になると、仲間同志で主に校庭の砂場を利用して、体育の道具入れ倉庫が開いている時には踏切台やマットを持ち出して秘かに練習をしていました。そうしたことを続けていた何日か後のある時、突然、台無しでくるっと一回転し足から着地して立つことが出来た時の嬉しさは、今でもはっきりと覚えています。大映映画で観ていた菅原謙二の講道館物や ‟千葉ちゃん”の柔道映画と同じような技が一つ出来たのです。

それからは、走るのはあまり得意ではなかったが鉄棒やマットを使った運動や球技などは好きで、中学生時は仲間たちと張り合って体育授業の始まる前や遊びでよく空中転回をやっていましたが、高校生以降はほとんどやる機会はありませんでした。

その後、社会人となって家庭を持ち、千々石町の自宅の庭に自分たちで芝生を張って管理するようになった30代初め頃のある日、何かここでは空中転回ができそうだと思って、久しぶりだからとウオーミングアップを十分に行い、まず両手を着いての前方転回から始め、気合を込めて空中転回に挑戦してみました。1回目は足とお尻が同時着地、2回目、3回目も同じ、4回目にやや足の方が早かったかなという感じで、そこでもうこれが限界と思い止めました。

その後、今の愛野町に移ってからも美術館や自宅の芝生で何度か挑戦してみましたがきちんと立てることは稀でした。高校時代「体育」科目だけは評価「5」でしたが(他の科目の評価は低空飛行)、今となっては若い時のように身体も動きませんし、これからは日本や世界の一流体操選手の演技をテレビ観戦して楽しみたいと思っています。

 

  (ネット写真より)