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石原慎太郎さん。

2022-04-19

昨日は今年に入って2月半ばの芝生焼きに続き庭木類の雑草取りや、芝生と美術館周辺の除草剤散布を行いました。

久しぶりの外部作業は午前中だけの予定が、結局お昼過ぎ13時半までかかってしまい、気持ちとは裏腹に身体が動かず年々ますます歳を感じる次第です。遅い昼食を摂って入浴の後はマッサージ機にかかり疲労回復を図りましたが、暫くは肩や腰などの筋肉痛と付き合うことになりそうです。

今、「文藝春秋 特別編集 石原慎太郎と日本の青春」と「月刊Hanada 2022 5月号 の「総力大特集 ウクライナは明日の日本 !」の2冊を並行して目を通しています。

石原慎太郎は学生時代に書いた「太陽の季節」により芥川賞を受賞して華々しく文壇デビューを果たし、またこの「太陽の季節」は映画化されて、自らも出演し、弟の裕次郎も同作品でデビューしていますが、私は現在に至るもこの本は読んでなく映画もまともには観ていません。

彼の本で私が初めて読んだのは「スパルタ教育」(昭和44年刊行)でした。当時、子育ての参考になればと思い何度か読んだ記憶がありますが、本自体は処分してしまっていてありません。

また、私は現役時代一度だけ彼の姿を飛行機の中と空港の到着口で見かけたことがあります。業務で東京へ出張した折、別用件で上京していた附属高校の校長と都内のホテルで合流し一緒に羽田から帰崎したことがあります。その際、私達が機内の中央列の一番前の席に並んで座っていたら、校長が「山本さん、慎太郎だよ」と小声で教えてくれました。顔を上げて先生の目線の先を追うと、彼は左側列の一番前席に腰を下ろして、腕を伸ばしエアコンの吹き出し口の向きを黒色の小太い万年筆を使って調整していました。ちらっと見たその万年筆は、蓋の先に白い星印みたいなものが見えたのでモンブラン製のようでした。彼はフライト中、その万年筆で何やら一心に書き物をしていました。そして長崎空港に着くと、秘書たちを従えて真っ先に降りて行きました。それから、私達が搭乗前に預けた手荷物を受け取って到着口を出ると、その前方では慎太郎を出迎えた12、3人の若者グループ(何処かの自民党青年部か ? )が、慎太郎を真ん中にして和やかな様子で写真を撮っている光景に出くわしました。その時の長身の慎太郎のダンディーさと格好良さと言ったら、さすがに裕次郎の兄貴で裕次郎に劣らず良い男と実感しました。確か、慎太郎さんが50歳前位の衆議院議員時代で、私が35、6歳の頃でした。

勿論、彼が何の用事で来崎したのか知る由もありませんでしたがそれ以来、慎太郎の政治家としての言動に秘かにかつ一方的に応援してきました。中でも、中国が尖閣列島にいろいろちょっかいを出してきて、時の民主党政権が毅然とした具体的な対応を取ることなく過ごしていた時、東京都知事だった彼が「尖閣は東京都が買う(買って守る)」と言ったのには拍手喝采しました。

また、彼の著書では今、『「NO」と言える日本』、「弟」、「再生」、「平和の毒、日本よ」、「歴史の十字路に立って-戦後七十年の回顧」、「東京革命 わが都政の回顧録」、「天才」、「あるヤクザの生涯」などが手元に残っています。

先日は彼の遺骨が遺言通りにゆかりのある神奈川県の葉山の海に散骨されたことをネットで知りましたが、本物だった政治家、文学者の死を悼んでおります。

 

「文藝春秋 特別編集 石原慎太郎と日本の青春」(文春ムック発行)