山本美術館 > ブログ > 恩師の訃報

恩師の訃報

2022-05-19

先日は日本の超高層ビル建築の先駆者であり、ハウステンボスの設計監修等で有名な日本を代表する建築家、池田武邦先生の訃報がありました。

私が初めて先生と直に接したのは1998(平成10)年1月のことで、都内新宿の先生が設計された京王プラザホテルの本館駅側玄関ロビーです。先生が大学と関わりを持たれて2度目の冬で、その後、先生には大学勤務の現役時代、退職後も公私含めて大変お世話になりました。

最初、何の用事で上京したのか記憶があいまいになっていますが、同行者で私の美術館構想仕掛人のH先生とロビーで池田先生を待っていると、約束の時間、黒いカシミアコートをまとった長身の先生が颯爽と玄関口から入って見えました。その時の先生の渋い雰囲気と格好良さといったら、私が初めてオーラというものを感じた瞬間でした。先生の前に緊張した面持ちで座り、H先生とのお話を聴きながら先生のお顔をジーッと見つめていたのを思い出しています。

それからしばらくして、私が大学の管財課長を務めていた時、大学の井戸水に起因する集団赤痢事件が発生しました。その際、直接の担当課長として事後処理業務等に携わる傍ら、大学の歴史について一番詳しくて大学の近くに住んでおられた元理事長のH先生に状況を説明し助言を得て、私的にすぐさまH先生と一緒に上京して池田先生にご迷惑を顧みず諸々の対応策について相談し、貴重なアドバイスを戴いたことがあります。

それから、先生が大学の建築学科並びに大学院環境計画学専攻の講義でお見えになった時には挨拶を交わし、ある時から私も先生に許可をもらって一年間学生や院生に交じって講義を拝聴したり、大学近くの海辺や先生が長崎西彼町・琵琶の首鼻に建てられた茅葺の家「邦久庵(ほうきゅうあん)」周辺でのフィールドワークに参加したりしました。

また、私共が個人美術館を開館した時のセレモニーでは邦久庵から奥様と共に足を運んで下さり、「日本一の個人美術館だ」と温かい励ましの挨拶をしていただき感謝でいっぱいでした。

その後何度か、先生ご夫妻とH先生ご夫妻をご一緒に美術館サロンにお招きして談笑できたことは、私と家内、娘にとって至福の時間でした。

また、邦久庵にも家内と娘を伴って何度か訪問させてもらいました。庵の名前は先生の名前から‟邦”の一文字と、奥様の名前(久子)から‟久”の一文字を組み合わせて付けたことや、どうしてこの地に住もうと思ったのかなどを教えてもらいました。

先生はいつも穏やかで、目下の私共にも分け隔てなく敬語を使われ、身内の奥様にも優しい言葉で話されていました。池田先生と大学が同窓のH先生もそうでした。

言葉遣いが荒い私は今になるも家内から事あるごとに、「池田先生を見習って少しは良い言葉遣いをしたら」と説教されています。

私共のかけがえのない恩師である池田武邦先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

琵琶の首鼻「邦久庵」デッキ 池田先生とH先生

     池田先生ご夫婦

    「邦久庵」囲炉裏を囲んで

    「邦久庵」H先生ご夫妻と