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「燃える闘魂」の訃報

2022-10-25

今月始めの1日にはプロレスラー、政治家として活躍したアントニオ猪木の訃報がありました。

小中学生時代から毎週金曜日夜8時からのテレビのプロレス中継はほとんど欠かさず観ていたが、当時、もちろん家にはテレビが無くて、放映時間前になると仲間たちとテレビの有る近所の家や中学校の宿直室に駆け込んでは、行儀正しくお座りして見せてもらっていました。

日本プロレス界のス―パースター力道山が空手チョップ、力道山死後のジャイアント馬場が16六文キックや32文ドロップキック、アントニオ猪木がコブラツイストや卍固めなどの技を使って外国人レスラーたちと闘う姿に少年時代の胸を高鳴らせてきました。

私は熱烈なプロレスファンで馬場も猪木も変わらないくらい好きで、馬場の試合は比較的余裕を持って、猪木の試合はいつもハラハラドキドキしながら観ていた思い出があります。

また、猪木の生の試合を30代になってから一度だけ旧長崎国際体育館の2階席で観戦したことがあり、猪木が誰と闘ったかは忘れていますが、相手の大柄の外国人レスラーをブレーバスターでマットに叩きつけた迫力あるシーンが今でも記憶に残っています。

そして、彼が新日本プロレスを旗揚げした後に元国際プロレスのエースだったストロング小林との日本人エース同士の対決、現役のボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリとの世紀の一戦、異種格闘技戦等々、猪木ならではの仕掛けに大変熱狂させられました。

昨日はAmazonに注文していたプロレスに関する本「テレビはプロレスから始まった 全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち」(福留崇広著 イースト・プレス発行)が届きましたが、これはジャイアント馬場が旗揚げした全日本プロレスについて書かれているものです。

またまた、私たちに「燃える闘魂」を魅せ続けてくれた偉大なプロレスラー・アントニオ猪木が逝ってしまい、私の昭和はますます遠くなってしまいました。

 

「テレビはプロレスから始まった 全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち」(福留崇広著 イースト・プレス発行)