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孫娘(2)

2014-04-01

4月1日、新しい年度の始まりです。

先週再度、家内は諫早市内で長崎から駆け付けた次女と孫娘(私の長女の長女)と待ち合わせて、三女の引っ越し準備の手伝いへ出かけました。

三女は今日から産休と育児休暇を終えて仕事に復帰するので、先週は長女(1才と4ケ月)を「慣らし保育」のため、長男(3才8ケ月)が通っている保育園へ預けていました。最初の日は2時間、次の日が3時間、次は4時間とだんだん預ける時間を長くしたそうです。

この間、1才と4ケ月の孫娘は母親が預けて帰る時、特別に泣いたり後追いとかはしなかったそうですが、保育園ではお昼のごはんを食べないでいるとのことでした。これを聞いた時には家内と、環境の変化を子ども心に一生懸命受け止めているのだろうな、と何か愛おしくなり少しセンチメンタルな気分になりました。しかし、木曜日になってやっとご飯も食べるようになり昼寝も1時間ほどするようになり、ひとまず安心しました。

手際のよい家内と次女、それに私の孫の内の最年長でこの4月から高校生になる孫娘の三人の加勢で荷物の箱詰めと部屋の清掃が終わり、業者による荷物運搬も昨日夕方済んで、三女たちの諫早市内での生活が始まっています。孫息子と孫娘も今日からまた新しい保育園に通うことになりましたが、早く慣れることを祈っています。

これらに関連して、私の幼稚園登園日のことを思い出しています。当時、私たちの町には保育所はなく町営幼稚園だけがありました。私が住んでいた地区には、私と同い年の男の子が3人いて、夫々がお袋に連れられて入園式に臨みました。式後(だったと思います)、お袋が私に「母ちゃんは、家の近くの田んぼで仕事しているから、帰ったらそこへ来んばよ」と言い聞かせて帰って行きました。6才まで一人っ子で育った私はお袋の姿が見えなくなった途端、さみしさと不安が胸いっぱいにこみ上げてきて、しばらく一人ぽつんとしていましたが、とうとう我慢できないで一直線にお袋を追いかけて帰りました。それ以来、結局幼稚園には行かず仕舞いで、同い年の3人は1年間通いめでたく卒園しましたが、私は逃げ出して登園は1時間位しかしなかった記憶が蘇り、ちょうど60年前の今の時期のことでした。

1396320953_yjimage(ネット写真より)